一冊の本のようなソフトウェア (>_<)

ユーザーから見てソフトウェアは鍵のかかったツールボックスだ。外見が素敵で、ユーザビリティが高くて、ビジネス価値を生み出していれば何の問題もない。たとえ鍵を手に入れることが可能でツールボックスを開くことができたとしても、そんなことにはユーザーは全く興味がない。

しかし、私達がそのツールボックスをどうにかしなければいけない時にはまず、その鍵を開いて中を覗いてみる。その瞬間、僕らの目にはそれを作成したプラグラマ達によって書かれた様々なメッセージが飛び込んでくる。作った本人にしか分からない独り言のような文章、複雑怪奇な数学の方程式のような殴り書き、注釈だらけでどこが本文だかわからないような文面、もしあなたの運がよければ、誰にでもわかるように言葉を選んで書かれたシンプルな文章を目にすることもあるだろう。

ツールボックスの鍵をその作成者ただ一人が持っていて今後誰の手にもその鍵が渡らないのだとすれば、中にどんなことが書かれていようが、どんな文面だろうが大して問題にはならないだろう。しかしそんな可能性はゼロに近い。鍵は様々な人の手を渡り歩き、不特定多数の人によって箱の中身が覗き見られると考えた方がいい。

あなたが仮にある書籍を読むように命じられたとしよう。素敵なハードカバーのいかにも高級そうな書籍だ。本を開いて第一章を読み出したところであなたは本を閉じてしまう。文章が高級すぎたのだろうか。いや、違うんだ。著者が読み手の立場に立って文章を書いていなかっただけだ。もしかしたらわざと文章を難しくして頭がいいと思われたかったのかもしれない。
どちらにせよ、著者は誰にでも伝わるシンプルな文章を書く努力を怠っていた。同じ分野に興味のある読者でも様々なレベルの読者がいることを知っていながら。

プログラマといえば数学的な視点でその能力を問われることが多いだろうが、私は文学的な視点こそが重要だと思う。プログラマにはシンプルな文章で意図を明確に表現できる能力がなければいけない。そのスキルを伸ばす努力を怠れば、あなたのコードはいつまでたっても独り言の域からは脱出できないだろう。

個人個人の独り言の寄せ集めのようなソフトウェアを作り上げてはならない。もっと素敵な文章によってまとめられた一冊の本のようなソフトウェアを作り上げるべきだ。その本を手にした人に感動を与えられるようにね。